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◆ 最近は、体と生活リズムが壊れてるところです。 (2012/09/23)
 
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「世界樹の迷宮キャラスレまとめサイト」では、中の人だよってしょっちゅう公言してるけど暗黙の了解で同一人物とはされない、みたいな立場を目指しています。

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ストーリーが全体的に暗いことは前に書いたとおりで、とうとうイノアの村が焼き討ちに遭ってしまう。望まぬ死を迎えた村人のためにも、アランドラは猿人・ムルータを討伐せねばならない。




ファンファーレ付きで喜んでる場合ではないです。

多分このシーンはスタッフも狙ったんじゃないだろうか? 飛翔感溢れるファンファーレの裏で、ずっと、ズドォーーン、ばぁーん、どぉーん、と破壊音が鳴り続けている。
このゲーム、終わりに近づくに連れシリアスを貫くことに揺らぎが出てきている。


・キャラクター



この前の記事で、「名作だと感じている人でもフォローしきれない、ある欠点」と書いたが、それはキャラクターの名前と、存在感である。
画像のビイゼンさん、とっても重要な役なのだ。何せ悪役をして「ビイゼンの家に行け、そこで貴様の運命が決まる」と言わせる程のキーマンなのだ。

ただ、このセリフを聞いた95%の人は間違いなく思うはずである。
「それ、誰?」

いやあ、まさか――


まさか村長さんだとは。



私は『アランドラ』を33時間かけてクリア、上記写真のシーンも30時間目くらいにようやく見れたものなんだけど、それ以前に彼と話したのって、ゲーム開始3時間以内なのよ。それ以降、ゲーム進行上絡んでくる人物じゃなかったから、全く忘れてたわけ。
『メタルギアソリッド』が30時間かけてクリアするゲームだったら、多分みんなナスターシャ・ロマネンコの事を忘れているだろう。それと同じである。

で、更にビイゼンである。
とりわけインパクトのある響きではない。
記事冒頭の写真で死んでた村人だって、モラアス。正直これを書いている今も、彼がどんな人物だったか全く思い出せない。

最初の被害者であるオーレンくらいは覚えていても、あれ? その恋人って誰だっけ?
宗教にハマっちゃって最終的に獣の体になっちゃた兄ちゃん、ゴ、ゴ……なんだっけ? その妹とか誰だっけ? キーシャ? あれ? そいつは双子の兄弟の母親じゃなかった? あれ? …………

そう、村人が多すぎる割に、みんな名前が平凡なのだ。

ゴレイヌとか、アホネンとか、マンコ・カパックとかだったら、みんな覚えられたのだ。




なんか重大そうなこと言ってるけど、私はお前と、説明書でしか会ったことがないぞ! (ユステルは、どこに行けばいいか行き詰まったときに道を教えてくれる救済キャラクター。本筋には30時間経つまで関わってこない)


・終盤の展開



逆にこのゲームの評価できるひとつとして、以前書いた「村人が自身が全く努力しねえ」が、一応ストーリーに活かされていたことがある。

彼らは国王の命により偶像崇拝を禁止され、神を描いた像や絵を焼くよう命じられた。
一方悪魔のくせに神の座に居座っていたメルザスは、偶像崇拝の禁止によって信仰の対象が他の神に移ることを恐れ、村人から物を創る力を奪った。だが、その反動で村人たちは夢を操る力を持ってしまった。
夢を操れると言うのは、なまじ偶像があるよりも悪魔にとっては厄介だった。そのために、村人たちに悪夢を見せ続けたのである。

それを知った村長ビイゼンは、「全員でアランドラが悪魔に打ち勝つ夢を見続ける」作戦を、村人に告知する。




ここで初めて、村人たちの武器が「夢に思うこと」であると明かされる。
実際この辺りの展開はなかなかドラマ性があり、非常にグッと来るものがある。正直「ダンジョン化された人々の夢に入り込み、悪夢から解放する」なんて、そりゃゲームとしては面白いけど思いつきだろ、とも思えるシステムだったのがここに来てようやく、「このゲームは夢を題材にしなくてはならなかったのだ」と言う土台を得るに至るのだ。

ただその一方で――




やっぱりシリアスを貫かず、なんか、お前、それでもラスボス2つ前のキャラの言うセリフか? みたいな事を叫んでくれるのである。




弱いし。
 
さて、次号いよいよエンディング。全プレイヤーの度肝を抜いた「何でそんなことをする!?」をご紹介したい。
 
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画像は1ドット引っ掛かってうまく泳げないアランドラ。操作性はなかなか良いこのゲーム、水中操作だけは何かおかしい。引っ掛かってもなおボタン押してたらするっと進めたりするし。




さて、アランドラには少ないながら理解ある仲間が存在する。彼同様、人の夢のなかに入る能力を有するメディアム(ヒロイン、悲惨な過去、ツンデレ、女戦士、エルフ耳、太ももなど)と、




数年前に村へと移住した学者、セクタス(常識人、博識、非バトル系、敬語など)だ。カッコ内は属性ね。

このゲームのストーリーの大筋は、「一見平和なある村では、神のフリをした悪魔が崇められていました」なので、村人ときたら相変わらず役立ちもせずアランドラにおつかいを押し付けてくる。
その分、件の2人がアランドラの大義を密かに褒めたたえ、今後の身の振り方を一緒に案じてくれるのだ。


・ボス戦



とか言ってたら思いっきりおつかい押し付けてきたよこの女。ひとっことも言ってねえよそんなこと。




おつかいでこんなものと戦わせてるんじゃないよ。
ちなみにボス戦も、『アランドラ』の数多い欠点の一つだ。なんかね、タルいのよ。
攻撃パターン、行動パターンが単調でランダム性にも乏しいから、飽きが来る。特に駆け引きもなく、こいつらならクッパのほうがまだハラハラさせてくれる。初登場時のインパクト以上の衝動が無いのだ。

他のダンジョンのボスなんか、通常攻撃→的確なジャンプ攻撃でないとダメージを与えられないってのに、30回くらいぶん殴っても倒れない。それでいて相手がする攻撃って、ただにじりよってくるだけだから、避ける、殴る、飛んで殴る、それだけのゲームになる。
しかもそのボスが同時に2体出現する。
更にそのボス、再戦、再再戦がある。
あの時はホント、スタッフの脳みそラードでできてるんじゃねえか? と思ったわ。

じゃあこのゲームにいいところはあるの? となると、それはやはり、シナリオと音楽になる。




音楽は多彩であり、凝っている。担当の田中公平さんは2010年現在で30年のキャリアを持つベテランで、なんかWikipediaで経歴見たら、

わ、

アニメ『笑ゥせぇるすまん』の音楽担当の人なのね! 最新では『ぬらりひょんの孫』の劇中曲も担当したらしい。





あともうひとつ、このゲームを名作だと感じている人でもフォローしきれない、ある欠点があるのだけれど……シナリオ含め、それはまた後日。
 


・ダンジョン

さて、ここである。中盤に行けるダンジョン。
『アランドラ』のダンジョンは何が問題かって、見た目と実際通れるルートがあっていないのだ。
足場から足場へジャンプすればいいのだから、写真の4つの足場はそれぞれが相互に行き来できていいはずである。なのに、




上図の、1→2→3→4の順番にしか進めないようになっている。1から4に飛ぼうとすると、見えない何かにぶつかって下のフロアに落ちてしまうのだ。
何にぶつかってるの? ちょこっと飛び出たトゲ?
でも1と4の間にあるトゲは、足場と同じ高さのように見える。ジャンプでぶつかるようには見えない。実際、下ボタンを押しっぱなしのアランドラは、透明な壁を押しながら落っこちていく。

スーパーマリオブラザーズで、5000点めがけてゴールポールに飛び込んで見えないブロックに阻まれて100点取らされたって言ったら、これは誰しも理不尽だと思うだろう。それと同じ目に遭わされるわけである。

「いやいや、2と3の間にはトゲはないわけだし、“飛び越せない記号”の意味ではじゅうぶんじゃないの?」と言う声もあるかもしれない。じゃあこれはどうなんだ。







飛ぶなよ!

いや、飛ばないとダンジョン進めないんだけれど、逆に、飛んだらオカしいだろ!
そこは飛ばすなよ!




もともとここが特別わかりにくいダンジョンと言うのはある。上記写真など、実際に壁にぶつかってみないとどこが通れるのかサッパリだ。ただ、攻略しなくてもクリア可能なダンジョンだし、隠しステージと思えば、ちょっとくらいの理不尽さはアリだろう。
つまり、ちょっとじゃないから問題なのだ。

例のジャンプ地帯、落ちたら前の前くらいのフロアからやりなおし、水中ダンジョンだから動きが遅い、しかも途中に判定のシビアな大ジャンプポイントあり。
その大ジャンプも、まず「頑張れば飛べる」ことに気づきづらい。ギリギリ過ぎるし、初見だとまず落ちるのだ。「難しいけれどここは頑張れば行けそうだ」なら幾らでも挑戦するが、奥行きの感覚が掴みづらいことも手伝い、「これ多分別のところから進入口があるな」と思わせてしまう構造になっているのだ。

下手な操作の言い訳に聞こえる?
じゃあこれはどうだ。




さあ、ブロックを飛び出した。どこに着地する?




ここ!

縦に走る道は、その下にある。何か目がチカチカしてこないか? これって、人の景色の見え方として合ってるの?
縦しんば正しいとして、ゲーム画面として提示していい構図なの?
下の通路は色を変えるとか、ちょっとボカしとくとか、何か方法があったんじゃないか?


『アランドラ』はダンジョンのアクション性、謎解きのパズル性が特徴的な作品である。仕掛けに満ちた洞窟や城を、知恵と勇気で駆け巡る、それ自体はとてもロマンとファンタジーに溢れている。
ただ、

うまく見えねえんだよ! 描き方が下手なんだよ!

盛りつけがド下手な料理店は、味が良くても三流である。
 
結局わからなかったゲームの謎ってスレのまとめが面白いなあ、と思ったんだけれど、例えば昔のゲームって容量が限られたうえでの説明不足が多いから、確かに謎ってあったんだよね。


ナイトガンダム物語のエンディングって、何で紙飛行機が飛んでて、しかも動かせたんだろうね。
ドラクエのパクリでしかもストーリー全部おつかいだろって感じの、ある意味、純RPG。独自アイテムとして紙飛行機というのがあり、遠くのマップをスクロールして見られるという、なかなか、使いどころのないアイテムだったのだが、エンディングは夜空をこの紙飛行機が延々飛び続けると言うさっぱり意図の分からないものだった。
しかも、十字キーで上昇、下降、前進、後退ができた。お前紙飛行機だろ!?


忍者じゃじゃ丸銀河大作戦って、何でゴールシンボルがばらっばらだったんだろうね。
じゃじゃ丸シリーズの異色作。思えばこれもジャレコ暴走の一端だったのかもしれない。
たいていのステージでは空中に浮かぶ円……どぎつい光でアニメーションして、なんだかパチンコ屋の店頭イルミネーションみたいな円形のシンボルにジャンプするとゴールなのだが、ステージによっては落とし穴に落ちたり、特定の箇所で静止したりするとゴールになったりした。
ただでさえ「円に入り画面がモザイクになる」のが意味わからないし、元より世界観が「気の狂ったポップ感」だったため、何とも胸糞悪い印象を残す。


マリオ3の空中の国ステージ1の隠しゴールって、オルゴール取ったことによって何由来でゴールしてたんだろうね。
マリオ3って、個人的にはホラーゲームなのよ。
多彩な国を巡ると言う突拍子の無さ、必然性の無さが、まるでタチの悪い夢のようで。
全体的に色合いが薄いし、加えて例の隠しゴールのような「アイテムをとってしばらくしたらステージから追放される」演出が、なんか怖かったのだ。


スターソルジャーのパッケージでカッコつけてたアイツは誰?
それよりスターソルジャーのパッケージと同じ絵が描かれた靴を履いていた雄大くん(当時5歳)、それどこで入手したの? 今も持ってたら絶対高値で売れるよ。


エキサイトバイクは本当にセーブ&ロード機能ついてたの?
外部機器が必要なんだっけか? あの、真っ青な「SAVE」の画面、ちょっと怖かったです。


ファーランドストーリーは続編を出す気だったの?
ランティアの息子と、あの関西弁のメガネっ子はくっついたわけ?
スーファミ版2のエンディングで、殆ど絡みなかったくせに突然エンディングで一緒に旅に出やがったのよアイツら。明らかに続編への布石だったわ、あれ。


これ、意外と追ったら面白いかも。
 
結構、ムカついているゲームである。



ゲームアーカイブスで購入した1997年製のアクションRPGなのだが、半分は面白さ、半分はツッコミ甲斐のあるダメダメさでできていると感じる。
いま現在、中盤の山はとっくに越したと思うところまで来たが、もし今後、中古やアーカイブスでこのゲームをやろうと思っている人がいたら知っておいて欲しいことを書きたいと思う。

始めに言っておくけれど、『アランドラ』、力作には間違いねえです。値段分はどうやっても楽しめる。


・ストーリー

良い。
ある宗教的背景により悪夢に苛まれているイノアの村の住人を、船の難破で流れ着いた少年・アランドラが救い、悪夢の原因の根幹に迫っていくというもの。
アランドラには他者の夢に入り込むと言う能力があり、その中で悪魔を倒せば、とりあえず救ったことになる。

しかし悪魔を倒しても道連れにされる、或いは悪夢の原因に挑もうとして、結構な数の村人が死ぬ。



『アランドラ』は名作としても知られており、好きな人は心に残ったゲームベスト3に入れちゃうくらい好きだったりするのだが、その一端に、この妥協なき人口減少がある。
情け容赦なし。
「俺、この仕事が終わったらアイツと海を見に行くんだ……」などと口走る身体を張った死亡フラグ氏に始まり、主人公の恩人だろうが、ちょっと壊滅的なドジっ子萌えキャラだろうが、更にその上行く萌えキャラだろうが、結構死ぬ。村の経済を担っていたはずの炭鉱夫なんかみんなまとめて序盤で死ぬ。

その死はそれぞれ、それなりに重苦しく描かれており、あくまで「娯楽で死んでるんじゃなくて、みんな何かしらの想いを背負って死に行き着いたんだよ」と言うコンセプトが見て取れる。

それはRPGとしてのシステムにも関わっており、例えば武器職人は村人の誰かが死ぬたびに「その魂に追い立てられて」武器を作り、アランドラに手渡す。
レベルの概念が無いので、アランドラが強くなるにはプレイヤーの腕が上がるか、村人の誰かが死ぬかの二つしかない。
ゲームで死や、それにまつわる想いを扱うに当たって、とても画期的な表現をしていると言える。

ただ、悲劇は演出を失敗するとお笑いになる。

大体、セリフ回しがベタなのだ。古いRPGの特徴として「思っていることを素直にしゃべりすぎ」と言うのがあるが、あれは若年層にも解りやすくすると共に、ひとつのゲームのデータ容量が少なかったために、回りくどい言い回しを収納できなかったと言う原因がある。
PSの時代まで来て、それをも踏襲する必要は無かったはずだ。

ある村人は、自分自身が作り出した空想上の夢魔に苛まれていた。
夢に進入したアランドラによって夢魔は消え去るのだが、その後起き上がるなり――
「彼女は、現実の女性を愛せなかった僕が作り出した想像上の存在です」
ただでさえ小さな村の、よく知った面々に囲まれての大告白である。ちょっとそれは、男前過ぎやしないか? 更に続けて、
「彼女は僕が将来愛するだろう女性を道連れにすると言っていました。あれはナーシアのことかもしれない」
またも大告白。修学旅行の夜だってもう少し遠慮するよ。と思っていたら突然入室する別の村人。
「その通りでした。ナーシアは永遠の眠りにつきました……」

悲劇のテンポが良すぎる。リズミカル過ぎる。
大体、この男とナーシア、今までいっさい絡んでないじゃん、いや、そりゃ現実の女性を愛せなかったゆえなんだけれども。いずれにしても唐突である。

あとは、ひどいお使いゲーであると言う欠点もある。
村人がまたも悪夢に倒れて、その他の住人が村から離れた祭壇にお祈りにいっている。そこまでは良い。
問題は命からがら悪魔を倒して夢から戻ってくるなり、
「ああ、良かった良かった。ところで祈りにいった村人に、帰ってくるよう伝えに行ってきてはくれないか?」
大馬鹿野郎か、テメエは。
せっかく武器職人がいるのに、こいつら祈るか人に頼るかしかできない。滅びても問題ない村なんじゃねえの? と言う思いを抱かせる。

更に、しぶしぶ祭壇に行ったら行ったで、今度はこう言われる。
「ところで、奥の壁がひび割れていて壊せそうだけど、危ないからやってはいけないよ」
……馬鹿にしているのか?




さて、シナリオだけでやたらと盛り上がってしまったが、私が本当にムカついているのはダンジョンである。

『アランドラ』は謎解きとパズルアクションがキモであり、且つそれらが高難度ゲームとして敬遠される由来だ、とされている。
なので、このゲームを好きな人の前で「アランドラはクソゲーだ」とうっかり言うと、「いや、それはお前がヘタなだけだから」と脊髄で返される土壌ができてしまっている。

だが、実際プレイヤーの腕によってこのゲームがクソゲーになっているわけではない。関わっているのは、プレイヤーの根気であり、このゲームにはその根気を砕く……と言うよりも、煙に巻いてくずかごに捨ててしまうような仕掛けが多いのだ。

例えば上記の写真……
いや、既に長い記事になってしまったので、また今度にしたい。

とりあえず確実に言えるのは、このゲームをRPGだと思ってプレイしてはいけないと言うことだ。寧ろ、RPG要素は「よくしゃべること」だけと思っていい。このゲームは、謎解き付きの擬似3Dアクションゲームである。
 
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