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◆ 最近は、体と生活リズムが壊れてるところです。 (2012/09/23)
 
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発想切り売りサイトを運営。
「世界樹の迷宮キャラスレまとめサイト」では、中の人だよってしょっちゅう公言してるけど暗黙の了解で同一人物とはされない、みたいな立場を目指しています。

メール:
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あんまりこう言う話題をするってのは、何だか2CHユーザーに迎合したみたいで面白くないんですが、いやマジ、学のねえ奴って厄介だな。

いや今日ね、たぶん同年代か自身より年上と思うんだけど、やっべえ会話を聞きましたわ。

「十二支って漢字で書ける?」
「えっ?」
「だから、十二支」
「え、じゅうに、って、漢字で?」
「違う違う。十二支の十二の動物を、漢字で」
「あ」
「どうだろ」
「ネコっていた?」
「ネコ?」
「やばい、私十二支自体全部言えないかも」
「マジ?」
「ねー、うし、とら、あれ? ミってなに?」
「うさぎじゃない?」
「うさぎ違わない?」
「そう?」
「ミって、へび? 年賀状で蛇描かなかった?」
「描いたっけ」
「タツ、ミー、ウマ、ヘビ?」
「ヘビ?」
「最後なんだっけ」
「イ?」
「イヌ、イ?」
「イって何?」
「イヌは犬だよね」
「イ?」
「年賀状にイノシシ描かなかった?」
「あ、いのししだ」
「何で十二支ににわとりいるんだろ」
「にわとりいたっけ?」
「にわとりも描かなかった?」
「でもにわとり年無いよね?」
「でもにわとり描いたよね」
「って言うか十二支マジ解んないんだけど」
「ニワトリって漢字どうだっけ」



死    ね    よ    。
 
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音楽とは関係ない仕事のうえで、つい2日前に知り合ったばかりの人の話。

背は高く、ひょろりとしていて、顔にはなんだか覇気がなく、愛想笑いの出る様子もない。もちろんそれは俺が彼に持った第一印象であって、それが彼のごく自然なポーズなのだろう。
前職はプログラマーだったのかキーオペレーターだったのか、とにかくパソコンを前にしての入力ばかりで、特に接客だとか電話応対だとかをした経験はないらしく、会話してもどことなく宙ぶらりんな感じがあった。

ちょっと空き時間があったので、仕事経験の話をした。
良い具合に対話の温度も上がってきたので、店専属や、或いは営業でピアノを弾いてお金を貰った話や、作編曲や絵での同人活動の話をした。すると、彼はなぜか泣き出した。

  す、すいませ――いや、俺も……漫画とか描いてたことがあって、それで――
  そういう事やってる人だと思わなかったから、その、め、面食らって……
  俺の友人にも、そうやってギターやってる奴がいて……


ハンカチで目元を覆いながら、どんどん彼一人がヒートアップしていった。

  言い方は悪いッスけどォ……何でそう言う道に進まないんですかぁ!
  そう言うのってェ……退路絶たなきゃダメなんですよぉ!


気の利いた返しが思いつかなかった。というか、別に気を利かせる場面ではないなと思った。
この男――28歳らしいのだが、その――大丈夫か!?


あのね。

退路絶ったら、死ぬだろ。
退路があるから、できるんだよ。

て言うか、退路を断つなんて、原理的に出来ないんだよ。

子どもの悩みは、逃げ道の無い悩み。
大人の悩みは、逃げ道がありすぎる悩み。

退路絶たなきゃダメだなんて言ってるうちは、ガキだわ。


その後、お昼ごはんの時間を利用して彼はバックレた。

何だったんだ、あんたは。
 
iPhone 4に、さっそく画面にしみができるとか線が描画されるだとか、不具合の報告が出てきていると言う。
3GSからOSだけバージョンアップさせた私には大して関わりのない話なのだが、興味深いのは、それについてのmixiニュースに寄せられた日記の一部。アップル信者さんが書いたものなのだが、曰く、「初期の不具合で目くじら立てんなよ!」と言うことである。



ぶっちゃけ言わせてもらうが、




その通りである。







アップル信者では無いから、「不具合を許せ」と言う点で賛同したいわけでは無い。
そもそも、電気製品に対して許す、許さないの話を出すことがおかしいのだ。電気製品にあるのは、ひたすら「自己責任と応用力」だ。

あのね、家電とかに対するクレームの話を聞くたびに、いっつも思うの。

「思っていた仕様と違う」

そう感じること自体は当然なんだけれど、なぜその次に至るのが、「製品の不備」なのか。その前に恥じるべきは、「自身の調査不足と思慮の浅薄さ」じゃないのか。

例えばiPhoneによくあるクレームに、以下のものがある。

「着信音をダウンロードできないって、携帯電話としておかしくない?」
「フラッシュサイトが見られないって、今時意味解らなくない?」

ちょっとブラウザを開いて調べれば、どちらも購入前に4秒で解ることなのだ。着信音は「自作」しなければならないことも、アップルとアドビの関係が悪い事も。
クレーマーのほとんどは、「高価な買い物をしたのにこんな不備があるなんて!」と言うが、高価な買い物をするからこそ、自分の望む機能が搭載されているかどうかを、「自分の力で」調べなければならないのだ。購入者の後悔を守ってくれる仕組みなど、都合よく誰かが用意してくれるもので無いことは、10歳の子どもでも解る。そう言うものは、買う前に自分で作っておかねばイカンのだ。


大体、アップルの初期不良は風物詩だろう。ついで、バージョンアップ後に現れる別のバグも。
そして、iPhoneくらい有名な製品ならば、すぐにそのテの情報は手に入る。
誰も発売前に「絶対後悔しない良いものだ」なんて保証はしていないのに、覚悟もせずにノリで飛びつく方がバカなのだ。


気のいい八百屋のダンナが身の詰まったスイカを選んでくれる時代は、とうに終わっている。
売るほうが商売なら、買う方も商売なのだ。
お金を対価に何かを得るなら、事前の下調べはやりすぎて困ることはないし、それでもし失敗したならば、「恥じ入らなければ」ならない。

特に、今回例にとったiPhoneが「スペックと性質を理解していれば非常にコストパフォーマンスの高い機器」である以上、己の勉強不足と不運を棚にあげてぎゃあぎゃあ言うのは、それこそみっともない話なのである。


ちょっと思うところあって熱くなってしまったが、

本当、客視点の便利な「権利」なんざ幻想の時代なのである。
 
ちっちゃいころ、それも、小学校にも上がる前だったと思うが、その頃『まんがタイム』系のファミリー誌で見た4コマ漫画で、今も覚えているネタがある。




セリフの言い回しこそうろ覚えだが、ネタの運びは大体こんな感じだった。
その、まあ、くだらない。ひねりも無いし、幾ら90年代初めの漫画とは言え、古典的すぎる。ではなぜ、当時5歳くらいだった私がコレを強烈に覚えているのかと言うと、納得が行かなかったからである。

なぜ、


なぜこの漫画のお父さんは、



「但し、俺同伴な」と言うセリフをディスコに着いてから言うのか。



自身の日常に合わせて考えて、このセリフは3コマ目と同じ場面、つまり家の中で既に言われていなければならないはずだ。そう思ったのである。
現地に着いて初めてそれを言ったとすると、じゃあ家からディスコまでの間はどのようなやり取りがなされたと言うのか? 仮にお父さんが勝手についていって、現地で合流したとしても、「但し~」では会話が繋がらないのではないか――と。

当時その理由を母親に尋ねた記憶まであるが、恐らく納得の行く回答はしてもらえなかっただろう。だからこそ、ずっとこのネタを覚えているのだ。

だがさすがに、今となっては解る。
疑問は、「漫画の文法だから」の一言で片付くのだ。
4コマしか無いのだから、場面転換できるのであればした方が面白くなる事が多い。ネタだけを重視するならば、上記の漫画だって、




これが4コマ目でも良かったのだ。
でもやっぱりこれでは、笑いの要素にひとつ重要な、飛翔感めいたものが欠けてしまう。地味なのだ。
そこに作者の技術なりセンスなりを反映させた結果が、例の「現地に着いてから、突然会話をオトす父」なのだろう。
そしてそのせいで場面上の時間軸と、会話上の時間軸がかみ合わなくなり、そこに生まれた歪みが、漫画を読み慣れていなかった私に「納得が行かない」と言う感想を引き出させていたのかもしれない。




ここ10年ほど、4コマ漫画には「シュール」と言うジャンルが跋扈している。
それは「不必要なはずの間」であったり、「意図が見えない言動」であったり、最も代表的なものでは「オチた感じをさせない宙ぶらりんな展開」の事を指す。

しかし、ここで冒頭の4コマのうち、3コマ目と4コマ目を交互に見て頂きたい。これはこれで、シュールと呼べる飛躍がなされてはいないだろうか?
20年も前の漫画のはずだが、家からディスコへの「場面の跳躍」、その一方でスムースに繋がる「会話の直結」。この2つの時間軸のズレは、それこそシュールを生み出している気がする。

また、単なる視覚的効果の違いだけでシュールと呼ばれる事もある。
例えば下の1と2、どちらがよりシュールだろうか。




これは、間違いなく2のほうがシュールだろう。「わ あ い」だし。




ネタサイトで拾ったこれだって、文字が全て書き文字だったなら、かなりシュールさは殺がれると思うのだ。活字で「わぁーッ」「ヒョーッ」なものだから、妙なおかしみがある。




「シュールな表現」には、様々なものがある。

冒頭に上げた漫画であれば、時間軸の不自然な跳躍。
途中に上げた例は、不必要な間の挿入、意図の見えない言動、宙ぶらりんな展開。
そして最後に上げたのが、活字の効果音だ。

これらに共通するキーワードがあるならば、それは「読者が疑問を挟む余地」ではないかと思う。
あれ? 展開が飛んだ?
あれ? こう言う漫画だっけ?
あれ? オチは?
あれ? 何でわざわざ写植したの?
そう、「読者が、漫画の構造について疑問を挟む余地」だ。

これが探偵もので、容疑者の不可解な行動を描写したコマであれば、疑問に思いこそすれシュールとは思わない。それはあくまで漫画の内容についての疑問になる。

それが、例えば金田一やコナンに登場する「黒ずくめの人物(犯人)」が、特別なシーンで無くても黒ずくめで、主人公たちと一緒に黒ずくめのまま食卓を囲んだりしていると、シュールになる。「え? 作者はどう言う表現したいの?」と、作品世界から離れ、漫画の構造を疑うからだ。

その昔、『ルパン三世』が始めて世に発表された時、漫画好きや他漫画家は衝撃を受けたと言う。
今でこそ見慣れているが、「ルパンが女性の肩に手をかけると、次のコマではもう顔を腫らしてぶっ倒れている」と言う省略された展開が斬新だったのだ。

もし、この時の衝撃を今の漫画好きが受けたなら――
「あれ? ビンタされている部分は?」
恐らく、“シュール”と表現すると思うのだ。

漫画の内容に没頭するより早く、漫画の構造に違和感を覚えた時に、その作品はシュールになる。これが、ふと思い立った私の仮定である。
 
これは単純に「気の弱さ」に端を発しているのだと思うのだが、私は幼い頃、とにかく「主人公がピンチな状況に陥る」のがイヤだった。それが漫画でもテレビでも、見たくなくなるくらいに、明らかにストレスを感じていた。

アンパンマンですら、いちいち顔が濡れたり、カビにやられたり、バイキンマンのUFOのアームに捕えられてぐるぐると振り回されたり、そう言ったものを見たくなくて、保育園児の頃の「テレビの時間」では、どうにか意識を他に逸らしていたのを覚えている。

そう言った理由もあって、特撮にも全く詳しくない。私の世代であればウルトラマンであり仮面ライダーであり戦隊モノであり、もっと詳しくても良さそうなものだが、これが全く解らない。とにかく、「ピンチ」がいちいち鬱陶しかったのだ。

今考えると、じれったかったのだ。「どうせ最後は勝つのだし」と思うほどヒネていたわけではないが、それでも約束事としては解っていたので、「最初から勝ってろよ」くらいは考えていただろう。主人公の勝利への期待度と、まだるっこしいピンチのシーンとの間で、吸った息をいつまでも肺に溜めているような煮え切らなさを感じていたのかも知れない。

実はそんな事情で、今でもドラマやアニメが苦手である。作者の考えたシナリオを、作者が決めた時間割で付き合わなくてはいけないと言うのが、酷く嫌いだ。ゲームならボタンを押すタイミングは自分次第だが、映像作品は好きなスピードで見ることが出来ない。

勿論ゲームであっても、飛ばせない演出は嫌いだ。文字がフェイドアウトでぼわっと出てきて消えるまで、それが5秒程度の事であっても「プレイヤーの任意の操作を阻害してまで伝えたいメッセージかァ!?」と噛み付きたくなる。

多いよなあ。それもエンディングに。勿体つける事は無いんだって。どうせシナリオの最もドラマティックな部分は既に終わってて、エンディングなんて言わば木っ端の処理でしか無いんだから。「最後のモノローグでやっとこの物語は完結した!」なんてゲームは、実際は少ないのだ。

ちなみに世界樹IIIは、そう言うゲームでは、無い。ラスボス後にあいつらが言いたい事と言うのは、わざわざ飛ばせない演出が語らずともプレイヤーの全員が想像済の話だ。そこをどうにか我慢したとしても、せめてスタッフロールは飛ばしてくれ。食器洗ってもまだスタッフがロールしてたぞ。

ただ、そう言った「見たくない部分はサッと飛ばしたい」と思いは共通でも、幼い頃はやはり善玉がやられるシーンと言うのは「見るのが辛くて」イヤだった部分もあって、今ではアンパンマンがブチのめされてるくらい、それはそれで楽しむ事もできる。だからアンパンマン、お前には下調べと資金力が圧倒的に足りてねえんだよ、とツッコめる。

となればドラマやアニメの鬱陶しいシーンも、或いはゲームの飛ばせないテキストも、それぞれの楽しみ方はあるのかもしれない。

いや、最低限、面白いものであってくれれば、それが何よりなんだけどね。

あとね、ホントさ、スタッフロールって、書いてある事の98%はどうでも良くない?
 
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