iPhone 4に、さっそく画面にしみができるとか線が描画されるだとか、不具合の報告が出てきていると言う。
3GSからOSだけバージョンアップさせた私には大して関わりのない話なのだが、興味深いのは、それについてのmixiニュースに寄せられた日記の一部。アップル信者さんが書いたものなのだが、曰く、
「初期の不具合で目くじら立てんなよ!」と言うことである。
ぶっちゃけ言わせてもらうが、
その通りである。アップル信者では無いから、「不具合を許せ」と言う点で賛同したいわけでは無い。
そもそも、電気製品に対して許す、許さないの話を出すことがおかしいのだ。電気製品にあるのは、ひたすら
「自己責任と応用力」だ。
あのね、家電とかに対するクレームの話を聞くたびに、いっつも思うの。
「思っていた仕様と違う」
そう感じること自体は当然なんだけれど、なぜその次に至るのが、「製品の不備」なのか。その前に恥じるべきは、「自身の調査不足と思慮の浅薄さ」じゃないのか。
例えばiPhoneによくあるクレームに、以下のものがある。
「着信音をダウンロードできないって、携帯電話としておかしくない?」
「フラッシュサイトが見られないって、今時意味解らなくない?」
ちょっとブラウザを開いて調べれば、どちらも購入前に4秒で解ることなのだ。着信音は「自作」しなければならないことも、アップルとアドビの関係が悪い事も。
クレーマーのほとんどは、「高価な買い物をしたのにこんな不備があるなんて!」と言うが、
高価な買い物をするからこそ、自分の望む機能が搭載されているかどうかを、「自分の力で」調べなければならないのだ。購入者の後悔を守ってくれる仕組みなど、都合よく誰かが用意してくれるもので無いことは、10歳の子どもでも解る。そう言うものは、買う前に自分で作っておかねばイカンのだ。
大体、アップルの初期不良は風物詩だろう。ついで、バージョンアップ後に現れる別のバグも。
そして、iPhoneくらい有名な製品ならば、すぐにそのテの情報は手に入る。
誰も発売前に「絶対後悔しない良いものだ」なんて保証はしていないのに、覚悟もせずにノリで飛びつく方がバカなのだ。
気のいい八百屋のダンナが身の詰まったスイカを選んでくれる時代は、とうに終わっている。
売るほうが商売なら、買う方も商売なのだ。
お金を対価に何かを得るなら、事前の下調べはやりすぎて困ることはないし、それでもし失敗したならば、「恥じ入らなければ」ならない。
特に、今回例にとったiPhoneが「スペックと性質を理解していれば非常にコストパフォーマンスの高い機器」である以上、己の勉強不足と不運を棚にあげてぎゃあぎゃあ言うのは、それこそみっともない話なのである。
ちょっと思うところあって熱くなってしまったが、
本当、客視点の便利な「権利」なんざ幻想の時代なのである。
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