これは単純に「気の弱さ」に端を発しているのだと思うのだが、私は幼い頃、とにかく「主人公がピンチな状況に陥る」のがイヤだった。それが漫画でもテレビでも、見たくなくなるくらいに、明らかにストレスを感じていた。
アンパンマンですら、いちいち顔が濡れたり、カビにやられたり、バイキンマンのUFOのアームに捕えられてぐるぐると振り回されたり、そう言ったものを見たくなくて、保育園児の頃の「テレビの時間」では、どうにか意識を他に逸らしていたのを覚えている。
そう言った理由もあって、特撮にも全く詳しくない。私の世代であればウルトラマンであり仮面ライダーであり戦隊モノであり、もっと詳しくても良さそうなものだが、これが全く解らない。とにかく、「ピンチ」がいちいち鬱陶しかったのだ。
今考えると、じれったかったのだ。「どうせ最後は勝つのだし」と思うほどヒネていたわけではないが、それでも約束事としては解っていたので、「最初から勝ってろよ」くらいは考えていただろう。主人公の勝利への期待度と、まだるっこしいピンチのシーンとの間で、吸った息をいつまでも肺に溜めているような煮え切らなさを感じていたのかも知れない。
実はそんな事情で、今でもドラマやアニメが苦手である。作者の考えたシナリオを、作者が決めた時間割で付き合わなくてはいけないと言うのが、酷く嫌いだ。ゲームならボタンを押すタイミングは自分次第だが、映像作品は好きなスピードで見ることが出来ない。
勿論ゲームであっても、飛ばせない演出は嫌いだ。文字がフェイドアウトでぼわっと出てきて消えるまで、それが5秒程度の事であっても「プレイヤーの任意の操作を阻害してまで伝えたいメッセージかァ!?」と噛み付きたくなる。
多いよなあ。それもエンディングに。勿体つける事は無いんだって。どうせシナリオの最もドラマティックな部分は既に終わってて、エンディングなんて言わば木っ端の処理でしか無いんだから。「最後のモノローグでやっとこの物語は完結した!」なんてゲームは、実際は少ないのだ。
ちなみに世界樹IIIは、そう言うゲームでは、無い。ラスボス後にあいつらが言いたい事と言うのは、わざわざ飛ばせない演出が語らずともプレイヤーの全員が想像済の話だ。そこをどうにか我慢したとしても、せめてスタッフロールは飛ばしてくれ。食器洗ってもまだスタッフがロールしてたぞ。
ただ、そう言った「見たくない部分はサッと飛ばしたい」と思いは共通でも、幼い頃はやはり善玉がやられるシーンと言うのは「見るのが辛くて」イヤだった部分もあって、今ではアンパンマンがブチのめされてるくらい、それはそれで楽しむ事もできる。だからアンパンマン、お前には下調べと資金力が圧倒的に足りてねえんだよ、とツッコめる。
となればドラマやアニメの鬱陶しいシーンも、或いはゲームの飛ばせないテキストも、それぞれの楽しみ方はあるのかもしれない。
いや、最低限、面白いものであってくれれば、それが何よりなんだけどね。
あとね、ホントさ、スタッフロールって、書いてある事の98%はどうでも良くない?
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