ストーリーが全体的に暗いことは前に書いたとおりで、とうとうイノアの村が焼き討ちに遭ってしまう。望まぬ死を迎えた村人のためにも、アランドラは猿人・ムルータを討伐せねばならない。
ファンファーレ付きで喜んでる場合ではないです。多分このシーンはスタッフも狙ったんじゃないだろうか? 飛翔感溢れるファンファーレの裏で、ずっと、
ズドォーーン、ばぁーん、どぉーん、と破壊音が鳴り続けている。
このゲーム、終わりに近づくに連れシリアスを貫くことに揺らぎが出てきている。
・キャラクターこの前の記事で、「名作だと感じている人でもフォローしきれない、ある欠点」と書いたが、それは
キャラクターの名前と、
存在感である。
画像のビイゼンさん、とっても重要な役なのだ。何せ悪役をして「ビイゼンの家に行け、そこで貴様の運命が決まる」と言わせる程のキーマンなのだ。
ただ、このセリフを聞いた95%の人は間違いなく思うはずである。
「それ、誰?」
いやあ、まさか――
まさか村長さんだとは。私は『アランドラ』を33時間かけてクリア、上記写真のシーンも30時間目くらいにようやく見れたものなんだけど、それ以前に彼と話したのって、ゲーム開始3時間以内なのよ。それ以降、ゲーム進行上絡んでくる人物じゃなかったから、全く忘れてたわけ。
『メタルギアソリッド』が30時間かけてクリアするゲームだったら、多分みんなナスターシャ・ロマネンコの事を忘れているだろう。それと同じである。
で、更にビイゼンである。
とりわけインパクトのある響きではない。
記事冒頭の写真で死んでた村人だって、モラアス。正直これを書いている今も、彼がどんな人物だったか全く思い出せない。
最初の被害者であるオーレンくらいは覚えていても、あれ? その恋人って誰だっけ?
宗教にハマっちゃって最終的に獣の体になっちゃた兄ちゃん、ゴ、ゴ……なんだっけ? その妹とか誰だっけ? キーシャ? あれ? そいつは双子の兄弟の母親じゃなかった? あれ? …………
そう、村人が多すぎる割に、みんな名前が平凡なのだ。ゴレイヌとか、アホネンとか、
マンコ・カパックとかだったら、みんな覚えられたのだ。
なんか重大そうなこと言ってるけど、私はお前と、
説明書でしか会ったことがないぞ!
(ユステルは、どこに行けばいいか行き詰まったときに道を教えてくれる救済キャラクター。本筋には30時間経つまで関わってこない)・終盤の展開逆にこのゲームの評価できるひとつとして、以前書いた「村人が自身が全く努力しねえ」が、一応ストーリーに活かされていたことがある。
彼らは国王の命により偶像崇拝を禁止され、神を描いた像や絵を焼くよう命じられた。
一方悪魔のくせに神の座に居座っていたメルザスは、偶像崇拝の禁止によって信仰の対象が他の神に移ることを恐れ、村人から物を創る力を奪った。だが、その反動で村人たちは夢を操る力を持ってしまった。
夢を操れると言うのは、なまじ偶像があるよりも悪魔にとっては厄介だった。そのために、村人たちに悪夢を見せ続けたのである。
それを知った村長ビイゼンは、「全員でアランドラが悪魔に打ち勝つ夢を見続ける」作戦を、村人に告知する。
ここで初めて、村人たちの武器が「夢に思うこと」であると明かされる。
実際この辺りの展開はなかなかドラマ性があり、非常にグッと来るものがある。正直「ダンジョン化された人々の夢に入り込み、悪夢から解放する」なんて、そりゃゲームとしては面白いけど思いつきだろ、とも思えるシステムだったのがここに来てようやく、「このゲームは夢を題材にしなくてはならなかったのだ」と言う土台を得るに至るのだ。
ただその一方で――
やっぱりシリアスを貫かず、なんか、お前、それでもラスボス2つ前のキャラの言うセリフか? みたいな事を叫んでくれるのである。
弱いし。 さて、次号いよいよエンディング。全プレイヤーの度肝を抜いた「何でそんなことをする!?」をご紹介したい。
PR