ファミコンやスーファミで、ジャズっぽい曲が鳴ると、異ッ常にカッコよく感じてしまう。
ダントツがこれで、もう、ホント、森彰彦さんは早死に過ぎです。
ミスティックアークなんて、オープニングの城が描画されるところと船に入る瞬間と闇の家と音楽でもう全部じゃないですか。
次に印象深いのがなぞぷよのルルー編ステージ3。
http://www.e-moe.net/~pripas/box/nazo.mp3カッコええです。
アイスクライマーのボーナスパートも、ジャズっちいよね。完全にブルースだけど。
マイナーどころだと、みんなのたあ坊のみんななかよし大作戦のパズルBGMとか。
他には、ええと、ケムコの三大トンデモADVのひとつ、デジャブ(あと2つは悪魔の招待状とシャドウゲイト)のタイトル画面か。
そう、意外と少ない。
だけれど「ゲーム音」が突然ジャズを奏ではじめたら、ファミコン少年たちはテレビの前でそれなりにどびっくりしたし、印象に残っているのである。
なんか、カッチョいいぞ、と。
作家の方も狙っていただろう。「おめえ、ゲーム機からジャズ鳴っちゃうぞ? どうよ?」とは考えていただろう。
じゃあなぜ、ゲームBGMがジャズだったらカッコ良かったのだろうか。
単純にジャズはカッコいい。カッコいいが、それとは別に、ジャズと言うジャンルこそが「ゲームBGMが音楽として認められる切り口」だったからなんじゃないのだろうか。
オーケストラの曲や、ポップスをゲーム音源に落としこんでも、当時の感覚ではそんなにカッコよくならなかったように思う。いまみたいにファミコン風の音楽を「チップチューン」と呼んで面白がることなんか無かったし、ゲーム音楽はマトモな音楽と思われていなかったから、「原曲のほうが音いいんだから、所詮、ピコピコで聞いてもねえ」だったのだ。
そこで、ジャズが輝いたんじゃないだろうか。
もちろんジャズが無くとも、「ファミコン音楽」は独自のリズム体系、楽器編成、コード進行を身につけて1ジャンルになっていくのだが――ジャズは制限された音数と親和性が高かったのかもしれない。
さっきから「だろうか」が続いていることもあり、単なる思いつきなのだが、「ジャズっぽい曲」はスケールの進行や、和音構成の選び方、リズムで成り立っている面が、比較的強い。
オーケストラほどアコースティックの響きには縛られないし、ポップスほどミックスに左右されない。ドラムの音がリアルでなくても、寧ろドラムが無くても、ギターが無くても、ベース音一本あればジャズっぽい曲は作れる。代表例がマリオ3のボーナスパネルBGM。
冒頭の例はスーファミだから、あんまり音の制限の話には当てはまらないんだけれど、ゲーム音楽が「ゲーム音楽と言う先入観に邪魔されず曲を聞かせられる」ひとつの手段が、ジャズだったのかもしれない。
PR